【連載】Vol.13 「過去のコントラバス奏者編3」コントラバスとは?

kontorabasu

こんにちは。

今回も引き続き過去の偉大なコントラバス奏者をご紹介したいと思います。

Sergei_Koussevitsky

今回はボッテジーニに以来の天才と呼ばれたセルゲイ・クーセヴィツキー(1874-1951)です。

彼はモスクワ付近のトヴェリ州というところで生まれました。両親がプロの音楽家だったというのもあり、バイオリン、チェロ、ピアノ、トランペットを習って育ちます。この時点で既に多彩ですね。彼は奨学金を得てRussian Academy of Theatre Artsに入学します。

大学でコントラバスをRambusekのもとで学びます。大学では優秀な成績を収め、1894年にボリショイ劇場管弦楽団に入団。彼の師の後をついで首席奏者になります。

1905年にとてもお金持ちの女性と結婚し、ベルリンへ。ベルリンでは指揮などを学びます。指揮者としては1908年にデビューし、翌年にはロシアで自身のオーケストラを設立しています。

1909-1920年の間はヨーロッパではコントラバスソリストとして活動しながら、自身のオーケストラでロシアを回っていました。音楽以外にも、出版社なども設立し、ラフマニノフを始め有名な作曲の版権を得ます。

そしてロシア革命を機にベルリン・パリに移動し活動します。

パリでボストン交響楽団の指揮者に任命されます。ボストンで指揮者をしながらも夏にはパリでコンサートを行っていたようです。ボストン交響楽団の指揮者を25年も務め、ボストン交響楽団は世界的なオーケストラにまでなりました。

このようにコントラバス奏者であることはもちろん、ディレクター的な立ち回りをしていたことが特徴的ですね。1942年に妻が亡くなると、クーセヴィツキー音楽財団を設立し、若い音楽家のサポートを行っています。

ちなみに68歳の時に亡くなってしまった妻の姪と結婚しています(!!)

 


それでは彼の作品などを見ていきましょう。

交響曲です。音源と譜面のみです。

交響曲をピアノと2人で弾いている映像です。

そしてなんとこれは実際に彼が指揮をしている映像です。

いかがでしたでしょうか?今回もコントラバス奏者について見ていきました。

単純に技術があって有名になった人もいますが、彼の場合は活動が非常に多岐に渡りますね。徐々に時代が新しくなってきました。次回は誰が出てくるのでしょうか?ご期待ください。

 

Vol.12「過去のコントラバス奏者編2」

Vol.11「過去のコントラバス奏者編」 

Vol.10「コントラバスの形 編」 

Vol.9「スクロールの裏の彫刻編」

Vol.8「組み立てとスクロール&ネック編」 

Vol.7「表板制作(2)」

Vol.6 「表板制作(1)」

Vol.5 「裏板制作」

Vol.4 「側板制作」

Vol.3 「ジャーマンボウとフレンチボウ」

Vol.2「 ヴィオラ・ダ・ガンバ」

Vol.1 「コントラバスとチェロの違い」

 

参考)http://en.wikipedia.org/

 


レーベルサイト立ち上げました。
今後音楽等のコンテンツを配信していく予定です。

http://hajime-suzuki.com

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鈴木元(すずきはじめ)

洗足学園音楽大学ジャズコース入学を機にコントラバスを始める。 藤原清登氏、佐藤ハチ恭彦氏にコントラバスを師事。

大学入学時より演奏活動を開始し、様々な場で活動を行う。 大学ではビッグバンドなども経験し、第42回山野ビッグバンドコンテストで5位入賞。2011年Taipei International Jazz festivalをはじめ国内外のジャズフェスティバルにも出場。

洗足学園音楽大学で優秀演奏者賞を獲得し、同大学を首席で卒業。

 

 

 

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