みなさんこんにちは。赤須翔です。ニューヨークもいよいよあっついです。日本はどうですか? この滞在記、今回でパート10です。ということで、今日は僕の海外エピソードと「言葉から感じたこと」について書いていきます。始めます。
僕はあるときから、海外へ旅をすることが好きになった。空港を出ると日本と違う風景が飛び込んでくるあの感覚が好き。
最初の海外旅行はたしかグアム。母の定年祝いをするために、僕の姉が数年前から毎月2000円くらいを親戚から徴収して、その貯金で親戚一同でグアムへ行った。その旅で一番楽しかったのは、ダイビングや買い物、観光などではなく、母と二人だけで行ったチャモロ族というグアムの先住民の文化体験ツアーだ。
ホテルの前からバスで公民館のような屋敷の敷地に着いた。そこの目の前には観光客はあまり来ないようなビーチが広がっていて、松明や月の明かりが漂っている。広い敷地でチャモロ族のご飯を食べ、男性は現地の人からウクレレを習い、女性はフラダンスのような踊りを習う。最後にはみんなで演奏し踊った。
次の国は、フランス。フィドルの友人と二人で道やバーで演奏して、その日のビール代と夕食代を稼いでいた。同時期に一人でオランダも行った。ほぼ行き当たりばったりで宿を見つけたり、観光していた。
次は、母と二人でいったカンボジア。なんと僕らが飛び立ったのは2011年3月11日の東日本大震災の起きる3時間前。乗り継ぎで経由したタイの空港のテレビで津波の映像を見た時は、日本だとは思えなかった。
やはりカンボジアでも楽しかったのは、アンコールワットではなく、ローカルな壊れかかった遺跡。また木や葉っぱで出来た家の前で、そこの家族が売っていたとうもろこしは今まで食べたとうもろこしの中で一番美味しかった。
お次はどこだっけ。ギリシャだ。しかも端っこの小さいレフカダ島。その時は三味線を演奏しに行った。やはり楽しかったのは、ローカルなものだった。そこで友達になった地元の人に連れて行ってもらった、泳ぎでしか行けない海中の洞窟だったり、ローカルな食べ物やカフェ。中には一切英語を喋れない友達もいたが、向こうのギリシャ語とこちらの英語、ボディランゲージで何とかなった。彼はトランペッターなので一緒に演奏もしたし、ご飯に連れてってもらった。
言葉が分からなくても何とかなるものだ。ネイティブのイングリッシュスピーカーではない人達とは、文法関係なく単語を出し合い理解し合っていた。
ところが、ニューヨークへ来たら、みんな容赦なし手加減なしに喋ってくる。最初の1ヶ月は何言ってるかほとんどわからなかった。だけどここでまた友達を作って一緒にいると、英語の発音を教えてくれたり、ネイティブの言い回しをわかるまで英語で教えてくれたりした。そうしている内に段々言葉がわかるようになってきた。
そして言葉がわかってくると、この人も顔や文化は違えど、同じ人間なんだということに気付く。みんなしょうもないことや女の子のこと、音楽の話題で盛り上がっている。僕が日本で変なことで笑いを取るのと同じ発想やタイミングで、アメリカ人から笑いを取れる。こういう人間味がわかるので、観光名所よりもローカルが好きだ。
今僕は、日本でどんなレベルの高い大学よりも濃密な授業を受けている気がしている。語学だけでなく音楽も。外国に行くと周りの人すべてが先生のよう。
そして更に言えるのは、これらのコネクション作りの突破口はすべてギターだということ。言葉がわからなくても一緒に演奏出来るし、そこで共に楽しい時間を過ごすことで友達になれる。ギターがなければもっと大変だったと思う。
「ミュージック イズ ユニヴァース」音楽はかなりの武器です。ユーモアも。皆さん何でもいいので、自分の武器を見つけましょう。
ではまた。
赤須翔
1987年9月28日長野県駒ヶ根市生。洗足学園音楽大学でギターを有田純弘先生に師事。卒業後、2011年夏にフィドラーの少路健介と完全実費飛び込みフランスツアー敢行。
2012年秋には、日本舞踊団 かぐや(現在 那由多)とギリシャのレフカダ島にて毎年行われるフォルクローレフェスティバルに出場。そして完全自主制作のCD制作。全国手売り中。
現在はレストランやバーにてライブ活動中。主に小田急線成城学園前駅近くのF.gohanというレストランにて、絶賛ライブ中。ニューオリンズ旅行をきっかけにバンジョーも始めました。
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