前回は、僕のニューヨーク行きのターニングポイントのところで終わりました。早速続きを書いていきたいと思います。パート5始まります。
去年の11月に僕がニューヨーク行きを決断する出来事があった。智さんが日本でRon Carterのバンドでツアーした時に、そのうちの二日間お手伝いをさせてもらった。その時まで、ニューヨークにはものすごいレベルのミュージシャンが沢山いてものすんごいところなんだろうな、でも自分は日本にいればいいやと思っていた。だけど、このライブの後、智さんにニューヨークのミュージシャンを紹介してもらって、向こうへ行こうとパッと思いついた。とても安易な考えだけど、何か新しい経験をできると思った。
早速智さんに会いに行ってそのことを伝え、レッスンも受けたいので誰かギタリストを紹介してくださいと言ったら快く承諾してもらえた。なんと今ニューヨークでスターで、智さんともデュオのCDを作ったPeter Bernsteinを紹介してもらえることに。こりゃ凄いことになるぞと心が動き出し、4月に行くことを決めて、百合ケ丘のアパートの引き払いとバイトを辞める手続きもした。
そうこうしているうちに翌月の12月の上旬に、Jim Hallが自宅で亡くなってしまった。 彼は1月にRon Carterとデュオでブルーノート東京に来る予定だった。そこで、僕が紹介してもらえることになっていたPeter Bernsteinが急遽代わりに来ることに。僕はなにか運命的なものを感じてしまいニューヨークへ行きたい気持ちに拍車がかかった。
そのライブ当日僕は智さんと一緒に演奏を聴きに行った。終わった後、Peterは客席の方に出てきていて、智さんと会うなり久々の再会のハグ。僕のことも紹介してくれて、僕はつたない英語でなんとか会話をした。4月にニューヨークへ行くからレッスンを受けたいということ、今回の滞在で時間があれば日本でもレッスンを受けたいということを伝えた。そしたら翌日が空いているからと、レッスンも決まった。
翌日、ギターを持って都内のホテルのPeterの部屋でレッスンを受けた。1時間半ほどのレッスンだったけど、僕は新しい何か発見を手に入れることができた。
レッスン料はいくらか聞いた所、「日本の円とドルのレートがイマイチわからないから、君の言い値でいいよ!」と言ってくれた。とはいえそれなりにお支払いしたけど。
Peterの新しいソロギターのCDも直接買った。しかしお釣りを持っていなかったPeterは、「100円てどれ?あーごめんお釣り足りない!次ニューヨークで会った時に渡すよ!」と粋なニューヨーカーな感じで言っていた。とにかくPeterはかなりのナイスガイだということがわかった。
レッスンから数日経ってまた智さんに会った時に、4月にブルーノートNYで、ジム・ホールメモリアルライブがあると聞いた。4月のいつ渡米するか決めていなかったけど、智さんに「それ付いて行っていいですか?」と聞くと「もちろんええよ」と、一緒に行くことに。これまたすごいことになったと思った。
4月18~20日の3日間にそのライブが決まり、なんと最終日に智さんも出演することになった。智さんは17日の飛行機に乗ると言ったので僕も同じ日に日本を発つことにした。ちなみに4月の17日は僕のお母さんの誕生日。
4月に入り、僕は地元の長野へ引っ越しを済ませ、そこで2週間過ごした。14日に智さんの帰国4周年ライブが東京であったので、それに合わせ東京へ。
17日までの間、友達の家を転々としてから日本を出発。パート1,2,3で書いたようなことがあり、ようやく18日から始まるブルーノートのライブの話に入っていくところで今回は終わりです。みなさんよくここまで読んでくれました。僕は嬉しいです。次回も乞うご期待。今からご飯を作りシャワーを浴びて、超楽しいオープンマイクへ行ってきます。
赤須翔
1987年9月28日長野県駒ヶ根市生。洗足学園音楽大学でギターを有田純弘先生に師事。卒業後、2011年夏にフィドラーの少路健介と完全実費飛び込みフランスツアー敢行。
2012年秋には、日本舞踊団 かぐや(現在 那由多)とギリシャのレフカダ島にて毎年行われるフォルクローレフェスティバルに出場。そして完全自主制作のCD制作。全国手売り中。
現在はレストランやバーにてライブ活動中。主に小田急線成城学園前駅近くのF.gohanというレストランにて、絶賛ライブ中。ニューオリンズ旅行をきっかけにバンジョーも始めました。
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