1978年千葉生。1999年京都大学Dark Blue New Sounds Orchestraに所 属し山野楽器ビックバンドジャズコンテストで優秀賞受賞。2007年アカペラカルテット「XUXU」と共作 アルバム「アカペラ協奏曲第1番作品23」を発表。これまでにサックス奏者山口 真文氏、ドラム奏者ジョージ大塚氏、ピアニスト辛島文雄氏などのバンドに参 加。その他俳優の渡辺えり氏、三宅裕司氏のライブサポートやコンテンポラリー ダンサー山田うん氏とのコラボレーションなど活動するかたわら、銀座アートスペース 「スペースにはたづみ」の運営に携わり新しい芸術の発信方法を模索している。
本日のインタビューゲストはジャズベーシストの川本悠自さんにお越しいただきました。
ジャズベーシストとして大活躍の川本さんに音楽理論の覚えるきっかけの話から、ベーシストとしての音楽理論の見方の話など様々な話をしていただきました。
—音楽理論の覚えるきっかけってどんなものだったんですか?—
もともと大学のジャズ研でベースを弾いていたんです。その後大学を卒業してサラリーマンになったんですけど、やっぱりプロになりたくて。
それでT-SQUAREの須藤満さんに習おうと思って当時のヴィレッジ・エー(現:ヴィレッジミュージック)が運営していたアーティストビレッジっていう学校にベースを習いにいきました。
結局習った先生は須藤さんではなかったんですけど。
—サラリーマンのお仕事をしながら学校へ?—
そうですね。仕事が終わったらレッスンへ通ってました。ベースのレッスンを週一回、音楽理論のレッスンを週一回です。
—音楽理論はそこで習われたんですか?—
学校にいった目的は、ベースを習うためで音楽理論を習うつもりではなかったんです。でもベースを習うとおまけで音楽理論レッスンもついてきたんです(笑)。それで音楽理論もついでに習い始めました。
—音楽理論はついでだったんですか?—
そうです。大学のジャズ研時代に4年間色々やってたんです。メッセンジャーズの曲を耳で起こして採譜したり、ビックバンドなんかもトランスクライブしていたので音楽理論は自分で自信があったんです。おまけでついてくるなら受けてやろうじゃないかと。」
—それで音楽理論の授業を受けてみてどうでしたか?—
全然ダメでした。僕は何も解っていなかった。最初の授業でどれくらい音楽理論を解っているかをためすテストをするんですけどそれが問題が全然解らなくて。
sus4とかも知らなかったんで「何だコレは?」って。ソドレだとGsus4なんですけどレソドにされるともうわからない。4度で和音を作るとコードでは表せないって思ってましたから。
—それでそこの学校でエレキベースと音楽理論を学んだんですか?—
エレキベースのレッスンは一年くらい通ったあとやめたんです。ウッドベースをしっかりやろうと思うようになってクラシックのレッスンを受けるようになったんです。でも音楽理論のレッスンだけはやめずにずっと習い続けました。
—音楽理論のレッスンは最初はどんな事を習ったんですか?—
楽譜の書き方から習いましたね。ト音記号の書き方から。その後はコードボイシングなんかも習っていきました。そこの音楽理論の授業は実践的な要素やアレンジメントに比重が置かれてたんで、だんだんレベルが上がるとビックバンドアレンジメントに入っていくんです。それでビックバンドのボイシングなんかもやりましたね。」
—アナライズなんかもそこで?—
分析もそこで習いました。
—アーティストビレッジの音楽理論の授業も、ベースはバークリーメソッドですか?—
そうですね。バークリーメソッドですね。教えてた人がバークリーを出た人だったので。
—そこで音楽理論はどの辺りまで習いましかたか?アッパーストラクチャートライアドやハイブリッドコードなんかもやられてるんですか?—
アッパーストラクチャーはやりましたけど、ハイブリッドコードはやってないですね。僕はビックバンドのコードボイシング、つまりアレンジメントあたりまで進んだところでやめましたので。
—学校に行ってるときは音楽理論のレッスンの他に自分で本を使って勉強はされましたか?—
学校行ってるときはないですね。ただレッスンをやめてからは本屋で買った『実践コードワーク』みたいな本を読みましたね。
後はウッドベースを習うために通ってたクラシックレッスンの先生にクラシックの有名な和声の本とか進められて読みましたね。」
—バークリーメソッドは学校で、クラシック和声は独学で勉強されたって事なんですね
そうですね。特にクラシックの和声はコードがないのでびっくりしたんですが、和声を勉強したお陰で音楽構造がすごくよくわかりましたね。」
この人は、うっかりインタピューに答えて、サークルに捕獲されてしまったのだろうか・・・・。