【コラム】vol.4 川本悠自のROOT NOTE of JAZZ〜ジャズの歴史をたどる旅

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【ROOT NOTE of JAZZ vol.2 Joseph Schillinger  (1 September 1895 – 23 March 1943) -3- 】

鬼の金子は今日も変わらず鬼だった。

 

「川本さん、今日の締め切り守れなかったら、連載中止ですから」

 

ななななにをー!!
せっかく始めた連載、そんなに簡単に終わらせてなるものかー!!
まだまだ書きたい事がたくさんあるんだ。

 

ってことで、root note of jazz vol.2 最終話。
ヨーゼフシリンガーとはどういう人物で、どういう時代に生きた人だったのか。

 

 * * *

ヨーゼフ・シリンガー 1895年ウクライナ生まれ。5歳の頃に演劇・音楽といった芸術に興味を持ち、十歳で劇作・作曲などの創作活動を始めるという、いわゆる神童というやつだったようだ。その後、ロシアにおける音楽教育の中心であったサンクトペテルブルグ音楽院に進み、そこで音楽を本格的に学んだ。学生時代に既に数カ国語をマスターし、東洋思想や宗教、神話学、物理や数学などの自然科学に精通していたようである。

 

当時の音楽教育は、理論体系化を試みた先人たちが数多くいたとはいえ、まだまだ方法論として完成されたものとはとても言えなかったようだ。感性やインスピレーションは才能というロマンチックな言葉によって賞賛され保護され、科学的な分析・方法論の立ち入りは許されない聖域であった。

 

シリンガーは学生時代に幅広い学問、特に理数系の科学的発想を身につけたため、他の音楽家とは違う視点から音楽を眺めることが出来たのだろう。大学を卒業する頃、1914年頃から感性やインスピレーションなどの不確定要素までも数理的要素の強い科学的手法で分析する音楽理論を模索し始めていたようだ。その後、彼は1928年にロシアを離れるまでの10年間、ロシアの各地で教鞭を取るが、その期間、彼はその自分なりの音楽理論をあたため続けていたようだ。

 

1920年代当時のソビエトは、1922年に世界初の社会主義国家としてソビエト連邦が成立し、1924年に建国の父、レーニンが死去、その後、後継者としてスターリンが立ったばかりの時代であった。五カ年計画と呼ばれる計画経済が実施され、ソビエトは急速に近代化・工業化され、世界恐慌にあえぐ欧米諸国を尻目に経済成長率は世界最高を記録した。一方で強引な社会改革は一般民衆の抵抗と政府の弾圧を生み、スターリンによる粛正が始まるなど、独裁・ファシズムの足跡が聞こえて来た夕暮れの時代でもあった。

 

当時20代であったシリンガーは故郷ハリコフ音楽院の作曲家の主任教授をつとめたり、ソビエト最初のジャズ・オーケストラを設立しリーダーをつとめるなど、ソビエトにおける音楽家の第一人者であったが、1928年にニューヨークを訪問したのをきっかけに、そのまま定住してしまった。詳しい動機などはよくわからないが、思想弾圧が強まり不自由さを増していく母国よりも自由の国アメリカの方が性に合ったのだろうか。ロシア革命前後に世界各地に亡命した旧ロシア・ソビエト連邦の音楽家は数多くいるが、シリンガーの場合、結果としてはこの移住をきっかけに彼の音楽理論体系化事業は花開く事になる。

 

1931年頃からテルミンの発明者、レオン・テルミンと電子楽器の共同開発を始め、音楽分析の物理的・数学的見解を深めた事で彼の理論の大部分が完成し、1932年にはニューヨークで私塾を開いて数多くのポピュラー作曲家たちを指導す
ることになった。ガーシュウィンなどがシリンガーの門をたたいたのはこの頃である。

 

その私塾の他にもニュースクール大学、ニューヨーク大学、コロンビア大学などで教鞭をとった。彼の指導を受けたアメリカのポピュラー作曲家は推挙に暇がなく、例えばグレン・ミラーの最も有名な曲のひとつ「ムーンライト・セレナーデ」はシリンガーの私塾での課題作成の中から生まれた曲である。(このあたりのエピソードは映画「グレンミラー物語」にチラリと出てくる。)彼がアメリカのポピュラー音楽に及ぼした影響は甚大であると見ていいだろう。そしてそれはジャズを生み出す土壌へとつながって行く事は言うまでもない。

 

1936年、アメリカで市民権を得たシリンガーは自身の理論をまとめた著書「芸術の数学的基礎(Mathematical Basis of the Airs)」の原稿をまとめた後、1943年、出版を待たずして死去した。

 

シリンガーの死後、彼の講義ノートは「音楽作曲のシリンガー・システム(The Schillinger System of Musical Composiction)」という名前で弟子たちの手によってまとめられ、出版された。シリンガーは、その最も優秀な弟子たちに、自身の音楽理論を他人に教授する許可を与えられていたが、その中にローレンス・バーグという人物がいた。

 

彼は1945年ボストンで「シリンガーハウス」という名前の音楽私塾を始め、シリンガーの理論をさらにポピュラー音楽よりに再構築した理論を教え始めた。これが現在のバークリー音楽院の前身である。コードシンボル・システムなどを確立したバークリー音楽院で再構築されたシリンガーシステムは世界最強のポピュラー理論となり、ビバップ発生の土壌を作りひいては全世界を席巻することになるのである。

 

ローレンス・バーグがどのようにしてシリンガーシステムを再構築したかはまた
の機会に。

 

 * * *

今回のroot note of Jazzは、ファシズム台頭する夕暮れの時代にソビエトからアメリカにもたらされた理論、シリンガーシステム。まさに彼は本当の意味での”root note of Jazz”

 

長文精読ありがとうございました。

 

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川本悠自   Kawamoto Yuji

1978年千葉生。高校よりエレキベースを始め、立命館大学ジャズ研でウッドベースを始める。

1999年京都大学Dark Blue New Sounds Orchestraに所属し山野楽器ビックバンドジャズコンテストで優秀賞受賞。

2001年頃より都内近郊のジャズクラブ等で活動を始める。2007年アカペラカルテット「XUXU」と共作アルバム「アカペラ協奏曲第1番作品23」を発表。これまでにサックス奏者山口真文氏、ドラム奏者ジョージ大塚氏、ピアニスト辛島文雄氏などのバンドに参加。その他俳優の渡辺えり氏、三宅裕司氏のライブサポートやコンテンポラリー ダンサー山田うん氏とのコラボレーションなど活動は多岐にわたる。

現在は自らのグループで自己の音楽を追求するかたわら銀座七丁目にあるアートスペース 「スペースにはたづみ」の運営に携わり新しい芸術の発信方法を模索している。 

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