【コラム】vol.3 川本悠自のROOT NOTE of JAZZ〜ジャズの歴史をたどる旅

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【ROOT NOTE of JAZZ vol.2 Joseph Schillinger (1 September 1895 – 23
March 1943) -2- 】

 

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Overture

 

鬼の金子は、静かなる厳しさとしたたかさを併せ持った編集者だ。

締め切りを数週間過ぎてもじっ・・・と待つ。
数日の遅れぐらいでは何も言わない。
そして、原稿の遅れが明らかに筆者の怠慢であると判明した瞬間、
一閃、矢のような言葉で筆者の怠慢を指摘し、罪悪感を呼び覚ます。

数日前に届いたメールはわずかに2行。

 

 

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件名:記事の締め切り

11月5日(1本)
11月22日(1本)
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はいっ!!
はいっ!!

やりますっ!
書きますっ!
頑張りますっ!!

てなわけで、今回は、現代ポピュラー音楽理論が生まれた時代背景を覗いてみます。

 

 

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1920年代のアメリカ。「狂乱の20年代」とも呼ばれるこの時代。

 

第一次世界大戦の荒廃からの復興・再建を目指すヨーロッパを大きな市場として アメリカ経済は飛躍的に拡大・発展していた。ジャズが生まれ、アール・デコ様 式が頂点を迎えるなど、1929年のウォール街の暴落が世界恐慌を引き起こすま で、力強い社会・芸術・文化が花開いた時代だった。

 

音楽界では、ジャズの発展をはじめ、ブロードウェイを中心とした舞台演劇が隆 盛期を迎え、ジョージ・ガーシュウィンなどの人気作曲家が数多く活躍し多くの 名曲が生まれていた。当時の曲で現在に至るまでジャズのスタンダードとして演 奏されている曲が数多くある事を考えれば、当時の音楽シーンの成熟ぶりは伺え るだろう。

 

だが、当時の人気ポピュラー作曲家たちには共通の大きな悩みがあった。当時の ポピュラー音楽は歌手を含めた小編成のバンドで演奏されることが多く、オーケ ストレーションの点で未発達な部分が多かった。ポピュラー音楽におけるオーケ ストレーションの方法論、いわば体系化された音楽理論が存在しなかったのであ る。専門的な教育を受けていないポピュラー作曲家たちは独学でスキルを高めよ うと試みるが、「スウィング」「ジャズ」というキーワードの元、新しい音楽が 生まれつつあり複雑さを増していたシーンにおいて、独学という方法は限界が あったようだ。

 

そのため、数多くの大衆作曲家たちがクラシックの作曲家の門を叩く事になっ た。1920年代当時では音楽理論を学ぶということはすなわち、クラシック音 楽の理論を学ぶということであった。ガーシュウィンがラベルなどの有名な作曲 家に師事を請うた話はとても有名である。だが、既にプロフェッショナルとして キャリアを積んだ作曲家にとって、和声学や対位法を一から学習し直すというこ とはとても時間がかかることでもあり、また先にも書いたように新しい音楽が発 展する中で、クラシックの音楽理論は必ずしも音楽シーンの実情に沿うものでは なくなっていた。

 

そんな中、ポピュラー作曲家たちのニーズに答えるような理論を教えているクラ シックの作曲家がいた。
それが、今回のシリーズの主人公、ヨーゼフ・シリンガーである。
クラシックの音楽理論を独自の視点から再構築した彼の理論は、即効性を求める ポピュラー作曲家たちの要求に十二分に答えていたためブロードウェイやハリ ウッドなどで活躍する作曲家たちがこぞって通うようになった。

ガーシュウィンを初め、グレン・ミラー、ベニー・グッドマンなど現代まで愛さ れる曲を作曲した多くの作曲家がその卒業生である。
また、ここで教えられていた理論が、後に「シリンガー・システム」として体系 化され、現在のバークリー理論の元になったのである。

ではシリンガーは、一体どういう作曲家だったのか。
ひっぱってひっぱって、また来月。

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川本悠自   Kawamoto Yuji

1978年千葉生。高校よりエレキベースを始め、立命館大学ジャズ研でウッドベースを始める。

1999年京都大学Dark Blue New Sounds Orchestraに所属し山野楽器ビックバンドジャズコンテストで優秀賞受賞。

2001年頃より都内近郊のジャズクラブ等で活動を始める。2007年アカペラカルテット「XUXU」と共作アルバム「アカペラ協奏曲第1番作品23」を発表。これまでにサックス奏者山口真文氏、ドラム奏者ジョージ大塚氏、ピアニスト辛島文雄氏などのバンドに参加。その他俳優の渡辺えり氏、三宅裕司氏のライブサポートやコンテンポラリー ダンサー山田うん氏とのコラボレーションなど活動は多岐にわたる。

現在は自らのグループで自己の音楽を追求するかたわら銀座七丁目にあるアートスペース 「スペースにはたづみ」の運営に携わり新しい芸術の発信方法を模索している。 

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