【部屋と洋楽と私 】第2回:ヤマギワソフトとビョークと私

そしてオタク道へ……

 前回、この連載に書いたように、私は漢字の書き取りコンクールがきっかけで洋楽を聴き始めた。コミュ力が乏しく、少々無理をしていた私は、その後「ゲーム」という逃げ場を発見したことにより、孤独を埋めるかのようにゲーム文化にのめり込んでいく。

その流れでアニメにもハマった。当時、アニメやゲームを好む若者は一般的には疎外されがちであった。にも関わらず、私はオタクになった。これはエヴァブーム以前の「オタク第二世代」までの人にしかわからない感覚だと思う。いずれにしろ当時、オタクは受難の時代であった。

ヤマギワソフトという文化空間

もともとの私の性質(「外の世界<<<内面の世界」という価値観)がオタク文化とマッチしたのか、私は中学3年になるころには「内なるオタク帝国」の構築に取り組み始めた。その頃に接していた音楽は数多のゲーム音楽(主にゲーム女神転生シリーズのサウンドトラック)であり、じゃあ、この連載テーマの「洋楽」はどこにいったか?ということになるが、オタク文化と洋楽は名古屋市内のヤマギワソフト店内(ナディアパーク店・2007年に閉店)で繋がっていた。

当時のヤマギワソフトは洋楽とオタク文化が並存しつつ、メジャーな場所にそれがあるという「稀な文化空間」であった。私は当時通っていた歯医者がナディアパーク付近にあったため、その度に立ち寄り、よく店を覗いた。通路を挟んでオタク文化のゾーンと洋楽ゾーンがあり、ぐるぐる回ってみたものだ。大学生になると、バイトをしては博打的にCDをジャケ買いし、家に帰って後悔したことも多々あった。

CD買うにも自意識過剰

しかし、オタクの私がオシャレな洋楽CDを買うという行為は、わりと勇気の要ることであった。選んだCDをレジまで持って行き、そこでヤマギワのポイントカードを出し、お金を出し、お釣りを貰う。そんなごく当たり前の一連の流れにも緊張感が伴ったものだ。

ビョークのCDで未知との遭遇

 そんなある日、視聴やヴイジュアルに惹かれ、ついに買うことを決意した歌手ビョークのアルバム(メジャーソロデビュー後の最初のアルバムだったと思う)をレジに差し出したその時、レジ係の中年男性がなんと、珍しいことに、話しかけてきたのである。私は、後にも先にも、いいオトナがこれほど心の底から嬉しそうな顔をしているのを見たことはない。おそらく「同好の士」を見つけた喜びの表情である。

 「あっ!ビョーク好きなの?ビョークのメジャーデビュー前の音源持っているよ!聴きたい?」

 そう聞かれたことを現在でもハッキリと覚えている。が、当時、本当に“いっぱいいっぱい”だった私は思考停止してしまい「え……あ……」くらいしか声にならず、会計を済ませたら無言で立ち去ってしまった。SNS無き90年代、現実社会において同じ趣味の人に出会うということは、未知との遭遇のようなレアな出来事であった。もう18年も前のことなのに、あの時、なにがしか上手い「返し」ができていたら良かったのに、といまだに思う。 <続く>

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<イラスト/内藤理恵子>

イラストは歌手ビョーク。言わずと知れたアイスランド出身の歌姫。顔が日本人ぽいので、洋楽初心者もなんとなくとっつきやすい>


内藤理恵子 Rieko Naito

naitorieko

1979年生まれ。著書に『必修科目鷹の爪』(KADOKAWA)、『現代日本の葬送文化』(岩田書院)などがある。Twitterアカウントは@drjoro.

 

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