【最終回・コラム】「Vol.6 ビリー・ホリディと奇妙な果実」 川本悠自のROOT NOTE of JAZZ~ジャズの歴史をたどる旅

column_kawamoto

 今回で「川本悠自のROOT NOTE of JAZZ~ジャズの歴史をたどる旅」は終了させていただきます。

Southern trees bear strange fruit (南部の木には奇妙な果実がなる)
Blood on the leaves and blood at the root (葉には血が、根にも血を滴たらせ)
Black bodies swinging in the southern breeze (南部の風に揺らいでいる黒い死体)
Strange fruit hanging from the poplar trees. (ポプラの木に吊るされている奇妙な果実)
Pastoral scene of the gallant south (美しい南部の田園に)
The bulging eyes and the twisted mouth (飛び出した眼、苦痛に歪む口)
Scent of magnolias sweet and fresh (マグノリアの甘く新鮮な香り)
Then the sudden smell of burning flesh. (そして不意に 陽に灼ける肉の臭い)
Here is a fruit for the crows to pluck (カラスに突つかれ)
For the rain to gather for the wind to suck (雨に打たれ 風に弄ばれ)
For the sun to rot for the trees to drop (太陽に腐り 落ちていく果実)
Here is a strange and bitter crop. (奇妙で悲惨な果実)

(wikipediaより転載)

ジャズを代表する不出生のシンガー、ビリー・ホリディは1939年、レコード会社の反対を押し切って、ユダヤ人作詞家のエイベル・ミーアポルが作詞作曲した「奇妙な果実」を録音する。20世紀初頭のアメリカは合衆国憲法によって認められた公的な権利を事実上無効にするような司法判決および法律が頻発し、公然と人種差別が行われていた。
「ジム・クロウ法」と呼ばれる人種隔離に関する法案群によって、南アフリカで行われていたアパルトヘイト政策のような徹底した人種差別・隔離は合法とされていたのである。黒人の不当裁判や冤罪、リンチなどは日常茶飯事の出来事で、表向き「解放」されていた黒人にとっては闇の時代そのものであった。

ビリー・ホリディもまたその様な時代のただ中、1915年フィラデルフィアに生まれた。若く生活力に乏しい両親の元に生まれた彼女は母娘二人で親戚を転々しつつ、施設で差別からの虐待や強姦の被害にあったり、売春に手を染めるなど凄惨な幼少期を過ごす。流れ着いたハーレムで非合法ナイトクラブで歌うようになってから才能を現し、徐々に音楽家としてのキャリアを積んで行く。ジャズギタリストであった父親とも再会したと伝えられるが、彼女の父親はツアー先で肺炎を発症した際、黒人であることを理由に治療を拒まれそのまま亡くなっていた。彼女もまた、黒人差別による傷を負いながら活動を続けるミュージシャンのひとりであった。

1930年、トマス・シップとアブラム・スミスという二人の黒人がリンチの末に虐殺されて木に吊るされている写真が新聞で報道された。ニューヨーク市ブロンクス地区のユダヤ人教師エイベル・ミーアポルはその報道を見て衝撃を受け、それをモチーフに1937年「苦い果実(Bitter Fruit)」と題した詩を「The New York Teacher」詩に発表。後に曲が付けられた。ちなみにこのエイベル・ミーアポル、共産党員でもあり、ルイス・アレンというペンネームでシナトラ等に歌詞提供もしている立派な職業作詞家であった。

ミアポールの妻が共産党や教職者組合の集会などで歌うようになってから徐々に知れ渡り、NYの名門ナイトクラブ「カフェ・ソサエティ」の専属歌手をしていたビリー・ホリディの耳にも止まることになる。この曲を知った彼女は、強烈に凄惨な歌詞にも関わらず自分のレパートリーとしてステージのクロージングチューンに取り上げるなど積極的に歌って行った。先にも書いたように黒人の虐殺など日常茶飯事であったこの時代にそれを告発する歌を歌う事は非常に危険な行為でもあったが、彼女自身の幼少期の差別にまみれた生活や、自分の父親を黒人差別のために亡くしているという体験などから強固な信念をもって歌い続けたと彼女は後年語っている。

かくしてこの「奇妙な果実」はコロンビアレコードから発売され、大ヒットを記録。全米社会に黒人が虐殺されているという事実を歌の力で告発する事となる。

当時、全米黒人地位向上協会(NAACP)という差別解放運動組織にに黒人のみならず白人知識層もメンバーとして参加するなど黒人層以外にも差別を問題視する勢力が少しずつ現れていた。ユダヤ人が作詞作曲し黒人が自らの体験と重ね合わせ祈るように歌うこの歌は、アメリカの社会に衝撃を与えた。

この歌は、やがて黒人に対する暴力反対運動のシンボルとなり、1960年代の公民権運動という大きなうねりにつながって行くことになる。

今回のroot note of Jazz は凄惨な黒人の体験を綴った一曲のスタンダードと、それを歌った不出生のジャズシンガーが後世に残したジャズの精神。

 

今回で「川本悠自のROOT NOTE of JAZZ~ジャズの歴史をたどる旅」は終了となります。長らく愛読ありがとうございました。次回の機会がありましたらこちらでご報告いたします。今後ともサークルをよろしくお願いいたします。


53404681_148

川本悠自   Kawamoto Yuji

1978年千葉生。高校よりエレキベースを始め、立命館大学ジャズ研でウッドベースを始める。

1999年京都大学Dark Blue New Sounds Orchestraに所属し山野楽器ビックバンドジャズコンテストで優秀賞受賞。

2001年頃より都内近郊のジャズクラブ等で活動を始める。2007年アカペラカルテット「XUXU」と共作アルバム「アカペラ協奏曲第1番作品23」を発表。これまでにサックス奏者山口真文氏、ドラム奏者ジョージ大塚氏、ピアニスト辛島文雄氏などのバンドに参加。その他俳優の渡辺えり氏、三宅裕司氏のライブサポートやコンテンポラリー ダンサー山田うん氏とのコラボレーションなど活動は多岐にわたる。

現在は自らのグループで自己の音楽を追求するかたわら銀座七丁目にあるアートスペース 「スペースにはたづみ」の運営に携わり新しい芸術の発信方法を模索している。 

Be the first to comment

Leave a Reply

Your email address will not be published.